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更新日:2024年3月11日
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大正14(1925)年2月9日発行
One23Vol.36(2019春号)掲載
本書は、大正14(1925)年頃、当時の東京の学校紹介を目的に刊行されました。今回は、本書を通じて当時の東京の学校事情をみていきます。
大正14(1925)年当時の東京には、「男と女の學校を併せて、3百(小學校を除いて)以上」の学校がありました。下図を見ると、皇居を中心として、東京市(現在の東京23区)内の各地に今でも名を馳せる歴史ある有名校が数多く存在していたことが分かります。様々な大学や専門学校が多く存在する「東京と云ふ都會(とかい)は學校へ入学する者の為に実に都合がよく出来て居る。云はゞ(いわば)『學校のデパートメントストーア』」でした。
東京学校所在地図(抜粋)
大正12(1923)年9月、東京市は関東大震災に見舞われました。この震災により「東京に於(あ)る學校の五六割近くが一時は失われ」ることとなります。
しかし、東京は瞬時にして立ち直ります。「先づ、神田では圖書館(としょかん)が燒け残つたのを幸ひ之を中心として中央大學が盛り返し、硏數學館(けんすうがっかん)では十月の末に早くも燒やけあとにバラツクを建てゝ(たてて)道行く人の耳に勇ましい講義を聽(き)かせ」たとして、被災して大きな被害が出たにも関わらず、東京で学ぼうとする学生は減ることなく、学校はますます増え続けたことが記されています。
上京して東京の学校に通う上で避けられない壁となったのが、ふところ事情でした。大正時代、尋常小学校(6年)までは義務教育期間で、中等学校以上の学校に入学するには学費が必要でした。一番高額だったのは大学で、表を見ると、東京帝国大学(現在の東京大学)の場合、「授業料年額大學七拾五圓(えん)、入学金五圓(えん)」とあります。
さらに、下宿代だけでも「六疊(じょう)の間で食料共三十五六圓(えん)はとるのが普通」で、大正14(1925)年頃の国家公務員初任給が75円であったことからすると、上京して学校に通うためにかかる費用は、大変高額であったことが伺えます。
東京学校総覧(抜粋)
大正時代の東京の学校を思い浮かべることはできましたか?これらの古い資料は、特別区自治情報・交流センターで実際に手にとって閲覧いただけます。興味のある方は、お気軽にカウンターまでお声かけください。
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